(By Kotaro Iizawa) >> English

「19 世紀に写真術が出現して以来、それまでは主に画家たちが試みてきたセルフポートレートを、写真家たちが積極的に試みるようになった。画家たちがいわば求心的に“ 唯一の自己”を探し求めていくのに対して、写真家たちは自己をまず多次元的に分裂・解体しようとする。時間の経過とともに変容していく自分の姿を、理想化することなくそのまま受け入れ、写真に定着していくこともある。大庭みさこの「FAUSTUS」シリーズも、そんな写真家たちによるセルフポートレートの実験の系譜に連なるものといえるだろう。(略)

小指からの異常な出血をきっかけにして、彼女は「怒りと悲しみ、困惑、葛藤、絶望、さらには、受容と希望、歓び」といった段階を、次々に経験していく。その間に、自分の血で描かれたドローイングや、震える文字で記された手記なども挟み込まれる。(略) こうしてその一連の経過を記録した画像を目にすると、彼女の肉体的な痛みや精神的な動揺が、決して他人事ではないように思えてくる。多かれ少なかれ、われわれの人生においても、同じような事態に陥るのは充分にあり得ることだ。大庭は、彼女の経験した痛苦や希望をセルフポートレートの形で提示することで、それを個人的な出来事として孤立させるのではなく、より開かれた普遍的な物語として共有することをめざしているように思える。その試みは見事に成功しているのではないだろうか。」
大庭みさこ写真集『FAUSTUS』解説―痛苦と希望の共有
飯沢 耕太郎(写真評論家)より一部抜粋
(By Kotaro Iizawa)

飯沢 耕太郎(写真評論家 Photography critic)

(By Gary Edwards) >> English

「大庭みさこは、日本やニューヨークでテレビ局アナウンサーとしてのキャリアを去った後、私生活でのいくつかの苦難に続いて、その後ニューヨークに移る機会を得、写真作家・アーティストとして新たにスタートを切った。初期の作品シリーズ「El Camino」や「Fireflies」
は、東京やパリ、ニューヨーク等の都市を、神秘的かつ抽象味を帯びた独特な解釈で表現し、それらが写真界で重要な関心を集め始めていた2006 年、彼女はまた新たな悲劇̶に直面する。右手小指がAVM(動静脈奇形)という稀な自然出血症状に見舞われた。日本に家族を残したまま、米国での度重なる医療処置と最終的な小指切除手術の決断に迫られる中、大庭の「FAUSTUS」シリーズは、一見私的なものに見えるが、勇気を持って恐怖と「喪失」に向き合い、人間として誰にでも起こりうるもっとも基本的な物語を探求した普遍的なドラマである。(略)彼女が並外れた能力と勇気を持った芸術家でなければ、このトラウマは単に本人や親しい友人・家族の内だけにとどまっていただろう。私は大庭のアート全てが、ある意味、一握りのアーティストだけが持っている、自分の感情や魂の状態を鋭く洞察する力を反映していると信じている。」
大庭みさこ写真集『FAUSTUS』あとがき –
イリー・エドワーズ より一部抜粋

 

ゲイリー・エドワーズ(写真画廊ディレクター Gallery director)