飯沢 耕太郎(写真評論家 Photography critic)

(By Kotaro Iizawa) >> English

「19 世紀に写真術が出現して以来、それまでは主に画家たちが試みてきたセルフポートレートを、写真家たちが積極的に試みるようになった。画家たちがいわば求心的に“ 唯一の自己”を探し求めていくのに対して、写真家たちは自己をまず多次元的に分裂・解体しようとする。時間の経過とともに変容していく自分の姿を、理想化することなくそのまま受け入れ、写真に定着していくこともある。大庭みさこの「FAUSTUS」シリーズも、そんな写真家たちによるセルフポートレートの実験の系譜に連なるものといえるだろう。(略)

小指からの異常な出血をきっかけにして、彼女は「怒りと悲しみ、困惑、葛藤、絶望、さらには、受容と希望、歓び」といった段階を、次々に経験していく。その間に、自分の血で描かれたドローイングや、震える文字で記された手記なども挟み込まれる。(略) こうしてその一連の経過を記録した画像を目にすると、彼女の肉体的な痛みや精神的な動揺が、決して他人事ではないように思えてくる。多かれ少なかれ、われわれの人生においても、同じような事態に陥るのは充分にあり得ることだ。大庭は、彼女の経験した痛苦や希望をセルフポートレートの形で提示することで、それを個人的な出来事として孤立させるのではなく、より開かれた普遍的な物語として共有することをめざしているように思える。その試みは見事に成功しているのではないだろうか。」
大庭みさこ写真集『FAUSTUS』解説―痛苦と希望の共有
飯沢 耕太郎(写真評論家)より一部抜粋
(By Kotaro Iizawa)